On the road〜海の街で

海街に家を建てて移り住むまでのよもやまばなし。から始まった、海街暮らしと日々のあれこれ

RUN。

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もう11月。

去年は海街への移住をひかえ、引っ越し作業に右往左往していた。

その前の年なら走り込みの時期。

以前暮らしていた街では毎年12月にハーフマラソン大会が開催される。

もともと走るのが大好きな私はトレーニングを始めて、2年連続で参加していた。

残念ながらコロナで今年も中止になったよう。

 

ハーフマラソンは21kmの距離を走るのだけれど、各ポイントで足切りはあるものの大体の方はゴールできる運動好きな一般人にも参加しやすいレース。

ただ、事前のトレーニング無しには辛い距離ではある。

体作りは主にジムで行っていたのだけれど、やはりランはランニングマシーンではなく外を走りたい。

以前住んでた街は都会のど真ん中なので、このラントレーニングがなかなか大変。

平日の昼間となれば人出もそこそこあるので、まずこの人波を避けて走らなくてはならない。

時には禁止されている歩きタバコをしている輩の煙を吸い込んでしまうこともあった。

横に広がって歩くおしゃべり女子たちの間をうまくすり抜ける必要もある。

何より都会にはかなりの数がある信号で足止めもされる。

なるべくスムーズに走れるよう頭の中でコースを描いてはいるのだけれど、思うようには走れないことも多かった。

 

海町に引っ越してきて、走るのは困難ではなくなった。

信号も少なく人はほぼいないという、走りやすい環境の上にさらに海を見ながら走れるのだからランニング天国といってもいい。

ただ、個人で参加できるマラソン大会が無い。

電車や車で他の街に行って参加するのも煩わしいし、そもそもそこまでのレース熱はない。

 

野村訓市さんのラジオを聴いていたら、リスナーの方からのリクエストメールに「それ!」と思うエピソードがあった。

その方は旅先各地のマラソン大会に参加するのが楽しみだそう。

知らない土地を走る楽しみともう一つ、大会に出るのは解放感を味わえるから。

わかります。

何も考えず、決められたコースを人にも車にも信号にも足止めされずにフリーに走ることができる。

走ることだけ考えていれば良いのは、ランナーにとってものすごく楽なこと。

これが大会の一番の醍醐味。

しかも、いつもは交通量の多い通りのど真ん中を走れるなんて、楽しいことこの上ない。

道路も歩道とは違いフラットだし、自転車や看板などの障害物もないのだから。

 

涼しい季節になり、ランのベストシーズンがやってきた。

大会に出る予定はないけれど、出るつもりくらいで走ろうかな。

地元でとれるサツマイモや秋の野菜が美味しすぎて、体がちょっと重くなったから。

 

この続きは、また次回。

sea you soon.

丁寧。

f:id:mahinakea:20210930142251j:plain賑やかな夏が終わって季節は進み、秋も少しずつ深まってきた。

まだ半袖を着る日も多いけれど、夜は肌寒くなってきたので布団をかけて眠る。

 

秋生まれの私にとっては毎年節目になる季節で、この1年を思い返す。

去年の秋は新しい家の建築が大詰めの時期で、やっと家づくりのゴールを迎える直前だった。

あとは仕上がりを待つばかりだったので、私は電卓を叩き新しく購入するものや処分費用、引っ越しの費用などを計算しつつ、新生活に向けてあれこれと準備を進めていた。

今思えば、膨大な量の仕事だった。

内部進学とはいえ高校3年生の子供の生活をサポートをしつつ、普段の家事炊事もこなし、頭も体もフル回転だった。

子供のマンション探しも加わり、2軒分の引っ越しの段取り。

コロナ禍でたくさんの人を自宅に入れるわけにはいかず、荷物の梱包は自分ひとりでほぼこなした。

今もメールの受信箱を覗くと、あちらこちらとの送受信の数がすごい数になっている。

自分しかやる人がいないとなれば、やるしかない。

そして、やればできるものだ。

どんなに齢を重ねても、機会さえあれば人は成長できるもの。

旦那さんに「強くなったね。」と褒められる今日この頃。

 

海街に引っ越してきてからは、外構工事が遅れて始まったので工事現場の中で暮らしているようだった。

着々と進む工事の様子を2階の窓から眺めるのはとても楽しかった。

外構工事も終わって人の出入りもなくなり、家の中もどうにか落ち着いて、新生活が始まった実感があるのは春からだ。

お隣の庭の桜が盛大に花をつけて、借景で我が家も華やかに春を迎えられた。

特にキッチンの窓からライトアップされた夜桜は夢のように美しかった!

 

そこからは海や山で豊かに時間を過ごして、家での時間も充実していた。

特に大きく変わったのが料理。

家族のために作っていたご飯づくりが、自分だけのためになった。

これが本当に楽しい。

時間に追われることがないので、手間暇をキッチリかけられる。

新鮮な季節の朝どれ野菜をどんな風に調理するか、近くの販売所では見たことのない野菜や魚に出会うこともある。

味噌や漬物、ジャムなどを手作りするのも素材と時間に恵まれているから。

加工品はほぼ買わなくなった。

お菓子もパンも手作り。

新鮮な鶏卵が手に入るので、アイスクリームさえも手作りする。

自然主義ではないので、外食もするし時にはお惣菜に手を出すこともある。

でも、料理は楽しくて仕方ない。

手をかけて時間をかけて、自分のために一人分の料理をする。

なんと贅沢なことか。

 

尊敬する料理家の辰巳芳子先生の言葉。

『丁寧に料理することは、丁寧に生きること。』

 

そう、この一年ひとりの時間を存分に使い、私は丁寧に生きることができた。

離れて暮らす家族を想い、大好きな場所で、一生懸命建てた最高の家で、自分らしく贅沢に時間を使って暮らしている。

毎日大きな海と、広い空を眺めて。

 

この続きはまた次回。

sea you soon.

短い夏。

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海街に引っ越してきて初めての、大好きな夏がやってきた。

太陽の光が燦々と降り注ぎ、セミが盛大に朝から鳴いて、海はキラキラと眩しい。

最高!!

 

今年は海水浴場が開くので、私のお気に入りの海の家も開いた。

週末は観光客で混み合うものの、平日は割とのんびりしたもの。

昼間はとにかく暑いので、少し陽が西に傾く頃に海に向かう。

大好きな台湾で買ったお気に入りのプラスチックカゴバックに、パレオ、イヤフォン、携帯、文庫本と水筒を放り込む。

自転車に跨ると坂道を海に向かい、風を切って降りていく。

ビーチに着くとパレオを敷いて、水着になりその上に腰を下ろす。

しばらく海を眺めたら、ゴロンと横たわり文庫本を開く。

そのうち瞼が重くなってくると、イヤフォンで音楽をかけて目を閉じる。

だいたい顔の上に麦わら帽子をかけて寝ているのだけれど、しばらくすると汗をかいて起きる。

海に向かい熱くなった体を冷やし、またパレオの上に寝転がる。

夕方の風が吹いてくると、パレオの砂をパパッと落とし、小さく畳みカゴに放り込む。

今度は上り坂を踏ん張って漕ぎ上がる。

家に着きしばらくすると空が赤く染まってくる。

ワンコを連れて海に散歩に向かう。

しばらくワンコと海で遊んだら、海の家で冷たい生ビールとおつまみを一品頼んで、ゆっくり日が沈むのを眺める。

伊豆半島の向こうに日が沈んだら、ワンコを連れて家に帰る。

 

私の幸せな夏の日々がしばらく続いたけれど、コロナの影響でまずはお酒がお店で飲めなくなった。

夕方の生ビールはヴァージンモヒートに変わった。

文庫本を読み進み、2冊目を読み出した頃。

ついには海水浴場が閉まることになった。

それに伴い、海の家も閉まることに。

海の家のスタッフも急に仕事がなくなってしまうと嘆いていた。

閉まる前日の夜は、私もワンコを連れて海の家でいつもよりゆっくり過ごした。

どのお店も地元の方達で混み合い、みんな閉店を惜しんでいた。

やっと今年は開いたのに、と。

 

夏の前半は私も海を満喫できた。

家族や友人と海水浴したり、海の家でのわかめラーメンや名物のアジアンランチも楽しめた。

海水浴場が閉まって以降、天候が悪い日が続いている。

ビーチには何度か来た嵐が連れてきた漂着物(海藻やゴミ)が広がっている。

夏の爽やかなビーチの顔は、秋の訪れの前に消えてしまった。

とても残念だけれど、今年はもう夏は終わり。

夏はまた来年やってくる。

そして、夏以外の海もなかなか素敵なのだから。

暑すぎる真夏はお休みしていたSUPをまた楽しめる。

釣りもしてみたいな。

苦手な暑さが去って、ゆっくりソファーの上で昼寝をしているワンコの寝顔を隣で眺めつつ、釣りの本でも開こうかな。

 

この続きは、また次回。

sea you soon.

Summer has come!

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梅雨入りしてから、本当にたくさんの雨が降った。

警報や注意報が何度も出て、大きな災害が起こった地域もある。

我が家の利用する高速道路のインターも、のり面崩落のため未だ出入口が閉鎖している。

毎日雨降りか曇りで、海も鉛色ではなんとなく気持ちが滅入るもの。

気圧の関係で頭痛が起きたり、落ち込みがちな方々も多いと聞く。

そんな鬱陶しい梅雨にもどうにか終わりが見えてきた。

 

今朝は本当に久しぶりに日の光が眩しくて目が覚めた。

窓に目を向けると、まっさらな青空が広がっていた。

気温はすでに30℃に迫る勢いでぐんぐん上がっている。

「しまった!」

雨続きなこともあり涼しい日が続いていたので、さほど早い時間に出かける必要もなかった。

ワンコの散歩には暑さが大敵。

アスファルトもビーチの砂も熱くなってしまうと、ワンコは歩けない。

急いで支度をして家を出たのだけれど、家の前で暑さにバテたご近所のワンコに遭遇。

途中で歩かなくなり、急遽冷却スカーフを水で濡らして首に巻いて、どうにかここまでやってきたと。

アスファルトはまださほど熱くなってはいなかったので、私達もいつものように海に向かった。

海までは難なくたどり着いたが、やはり遅かった。

もうビーチの砂は熱くなり始めていた。

海に降りるのは諦めて、公園の芝の上を少し歩かせて家に帰った。

急に気温が上がったこともあり、だいぶワンコの息は上がってしまった。

明日からは早起き必須だ。

 

ついに今年も夏がやってきた。

今朝はセミの声を聞いた。

ついこの前ウグイスの声で春が来たなぁと思っていたのに。

動物や植物が季節の移り変わりを私達に知らせてくれる。

世の中がどんな状況でも、多少天候が荒れても、決まった通りに季節は流れる。

海街に来て、本当に自然は偉大だなぁ感じる。

 

先日、雨が弱まった隙にワンコの散歩に出ると、近くの川沿いの道で熱心に川の向こうを眺める白人男性がいた。

近づくと、「あそこにカワセミがいるよ。」と声をかけてくれた。

対岸で美しいカワセミが羽を休めていた。

「20年ぶりにここに来たけれど、素晴らしい場所だね。」と満面の笑み。

どう見ても30歳前後の彼。

子供時代のいつかをこの海街で過ごしていたのだろう。

しばし一緒にカワセミを眺めて、その場を離れた。

散歩の帰りにその近くを通りかかると、ママチャリにまたがった彼が「またね〜!!」と手を振り颯爽と走り去っていった。

都会では見られない、いろいろな動植物がたくましく生息しているこの海街。

 

そういえば、実家の父も無類の動物好きだ。

迷い猫を保護したり、川で溺れる迷い犬を決して綺麗ではない川に飛び入り助けたこともあった。

保護猫を飼っているというのに、実家の庭に鳥用の餌台を作り「ぴーちゃん、ぴーちゃん」と声をかけ野鳥さえも可愛がっていた。その後、鳥インフルエンザを心配した母に撤去させられたけれど。

ちなみにどんな鳥でも「ぴーちゃん」。

近くの川にはカルガモがたくさんいるのだけれど、「ぴーちゃんだ。」と喜んで川面を端から覗き込んでいた。

父にかかればカワセミさえも「ぴーちゃん」だろう。

このようなご時世で、なかなかこの海街にも遊びに来られない両親だけれど、元気なうちに「ぴーちゃん」がたくさんいる山や川や海に散歩に連れて行ってあげたい。

 

この続きは、また次回。

sea you soon.

人と人。

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海街に引っ越して7ヶ月あまり。

一人暮らしにも慣れ、別々に住んでいる家族とのつながりもパターン化してきて、私はとてもリズミカルに和やかな毎日を過ごしている。

 

一人暮らしと言っても人との関わりがなくなったわけではなく、一人だからこそ人間関係は大切。

〇〇ちゃんママ、〇〇さんの奥さんという顔が必要ないので、ここでの私はただの私。

私にとって一人で過ごす時間はとても大切なので、新しい人付き合いを積極的にしようとは思っていない。

ゆるりと生活を楽しむには人との程よい距離感が大事。

ありがたいことに、困った時や辛い時に頼りになる友はいてくれる。

楽しい時間を一緒に過ごす仲間もいるし、心配をしてくれる家族もまだみんな元気。

ただ、ここで生活をしていく以上、最低限の人付き合いは必要。

ご近所や近くのお店の方との会話は積極的にしている。

この街のご近所の方も私と同じような価値観の方が多いようで、気さくに接してくれるものの過干渉はしないし、ある程度のことはお互い様で済ませてくれる。

 

この私の小さな人間関係の輪の中で、最近心に止めていることがある。

どんなに長い年月一緒に過ごしてきたとしても、心遣いは人と接する時には必要なこと。

理論物理学の佐治晴夫先生がお話しされていたけれど、相互理解を深めるには相手が関心を寄せている「こと」や「もの」に対して共感することが一番の方法だそう。

確かに、私も会話するときは相手に受け入れて欲しくて話しているかも。

深刻な場合は別として、大抵はただのおしゃべりなのだから、自分の正義や世間の常識を振りかざしたところで相手は面白くないだろう。

相手の話を遮らずにきちんと最後まで聞き、話の内容に共感を示すように心がけている。

多少「ん?」と思っても、よほどのことがない限り「そうだよね。」「それ良いね。」って丸ごと受け入れる。

すると、会話もスムーズに進み、楽しい時間になる。

そもそも、その相手が好きだから時間を見つけて会っているのだから、それでいい。

お互いが気持ち良く生きていくには、いくつかのテクニックが必要だなぁと思う今日この頃。

 

我が子への接し方も、一緒に生活している時とは少しずつ変わっている。

経済的な自立はまだまだ先のこととはいえ、衣食住の基本的な生活は一人でできている。

もう、生きていくには私の手は必要ない。

やたらに子供の元を訪問したりしないし、LINEで会話やメッセージを送ったりするけれど、何日も話さないことだってある。

子供の意思や行動を見守りつつも、口や手は出さず心配な時だけサラッと話をする。

もちろん子供からヘルプが来たら、即刻対応する。

そのための親だろうから。

最近は子供を今までとは違う新しい視点で見られるようになった。

考え方や行動にはっとさせられたり、感心させられることも少なくない。

一人で暮らすことで、子供も世界が広がり自信が持てることも増えてきたのだろう。

我が子ながら、なかなか面白い人間だと思う。

可愛らしいことに母を気遣い、なるべくこの家に帰ってあげようとは思っているらしい。

忙しい大学生にとってなかなか実現はしないのだけれど、まぁその気持ちは嬉しい。

母はさほど寂しくはないので、大丈夫なのだけれど。

たまにはお母さんをやるのも、悪くはない。

 

この続きは、また次回。

sea you soon.

天気。

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雨の季節がやってきた。

ワンコの散歩にいくタイミングを見計らうのに、雨雲と睨めっこしている。

どうしても1日2回朝と夕方には外に行きたがるワンコのために、私はいつも空を見上げている。

今は雨雲の動きをお天気アプリなどが予測してくれる。

でも、少しの誤差はあるし予報が外れることだってままある。

予報を知った上で、風向きや光の入り方、雲の動きで自分で判断するようにしている。

たまに読み間違えて、途中でワンコと雨に降られたり。

 

私が住んでいる海街は雨風も強いし、天気が一旦崩れれば軽く災害レベルに達する。

海と山があるということは、災害のリスクが身近ということ。

先日も静かな街に消防の緊急車両のサイレンが響き渡り、山側に向かっているようだった。

天気も悪かったので外に出て確認はしなかったけれど、晴れ渡った次の朝に山に向かってワンコと歩いていた。山の斜面を見上げて愕然とした。

山の一部が崩れ落ちていた。地滑りという状況なのか、土が剥き出しになりえぐられている。

そこにあった竹林は消え去っていた。あの大量の竹はどこに消えたのか。

なんとなく近くまで行く気にもなれず、しばらく少し離れたそこから眺めていた。

 

他人の言うことは聞くものだ、とその時心底思った。

私がまだこの海街で土地探しをしている時に、先にこの街で暮らし始めた友人に教えてもらっていた。

「あの山の近くはやめたほうが良いよ。あそこは地元の人は蛇崩って呼んでいる山で、昔から何度も崩れているらしいから。」

今回崩れたのは、その山だった。

一度、すぐ側の中古住宅を不動産会社に案内された事があった。

もしそこに決めて、住んでいたとしたら。

歩いて3分のところで山が崩れたら、その後嵐のたびに怯えていなくてはならない。

その時も物件を見には行ったけれど、友人の話を思い出してそのエリアの物件は避けるようにした。

付近の方々は気の毒だけれど、家は命を守ってくれる場所。

安全に暮らしていくにはリスクを予測したり、想像したりは必要な事だと思う。

先祖代々住んでいる土地なら動けない事情もあるだろうけれど、他所からきた私達には選択肢がある。

安全かどうかは自治体が出しているハザードマップなどでも確認できる。

私のように住民の方に話を伺っても良い。

 

自然は偉大で美しいものだけれど、時には私達に大きな被害をもたらす。

だからこそ、自然の怖さも知っておかなければならないし、関心を持っていないとならない。

リスクの高いところに住んでいなくても、そこを訪れることはあるだろうから。

津波、台風、地震、雷、竜巻、山崩れ、地滑り、山火事。

災害が起こる可能性はいつだって0ではない。

せめて天気くらいは把握して、いつも自分の身の回りの環境に耳をすませていたい。

何かおかしいという危機感をいざというときに持てるようにしておきたい。

 

今放送しているNHKの朝の連続ドラマ小説で、ヒロインが気象予報士を目指し出した。

毎回気象の勉強にもなるし、なかなか良いストーリー。

気象予報士は人の命を助ける仕事。

ドラマの中でも予報士の気象情報が命を救うシーンがあったのだけれど、実際に気象予報に命を助けられた人はたくさんいるのだろう。

人は大きな自然の中で、小さく生かされているだけなのだから。

 

私は今日もワンコと空を見上げる。

そして、美しく青い空が広がっていると嬉しくなる。

いつでも穏やかな天気だと良いのに。

 

この続きは、また次回。

sea you soon.

1969。

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母と電話で話していて、私の気ままなほぼ一人暮らしが羨ましいという話になった。

母は父と二人暮らしなのだけれど、齢70を過ぎても父は現役で働いている。

生活のリズムは子育てしている頃に比べたら自由ではあるものの勝手にはできないと。

父が帰る頃を見計らって献立を考えて食事の支度をしたり、身の回りの世話は変わらずにしなくてはならないんだからと嘆く。

手芸や書道など集中してやっていることを家族の用事や家事で中断しなくて良いのが一番嬉しいと話したら、母は自分だったら読みたい本を一気に読みたいと言った。

いつか母にも山ほど本が読める時間を持てる時が来るのだろう。

 

実家の家族は本をよく読む方だと思う。

特に私は活字中毒で、とにかくなんでも良いから字を追っていたい。

小さい頃平日の朝ご飯中、時間もないのに牛乳パックに印刷された字を追っかけていたと母に今でも言われる。

あまりジャンルは問わないのだけれど、好きなのは大正から昭和の前半にかけての文学。

中でも、太宰と三島は二大巨塔。

少し前の話だけれど、鎌倉の川喜多映画記念館で三島の映画を観た。

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」は去年の春に上映されていた。

コロナ禍で緊急事態宣言中なこともあって見逃していたので、前売り券を買って今回の上映を楽しみにしていた。

もうAmazonプライムなどのオンデマンドでも観る事はできる。

でも、できたらその時代の方々と上映時間を共有したかった。

鎌倉なら当時学生だったシニアの方々も足を運んでくることだろう。

予想通り、元闘士らしきおじさまが多くいらっしゃった。

それにしても、三島が自分の考えをマイクを持って公衆の場で話すというのは、なかなか貴重な映像だと私は思う。

安田講堂でヘルメットをかぶった学生たちの報道映像は勿論見たことはあったけれど、学生たちが実際に話している映像を見るのも初めてのこと。

当時の学生運動、特に武闘派の東大全共闘には以前から興味があって書物は読んではいた。

ただ、生まれる前の話で身近な出来事ではなかったし、学校で詳しく学習した覚えもあまりない。

今回貴重なこの映画を見られて、本当に良かった。

 

両親はまさにその年代なのだけれど、当時の父は山岳部の活動でほぼ山で過ごしていて、下界の騒ぎや運動に少しも興味は持っていなかった。

日本の山を制覇している真っ只中の時期で山に夢中だったと思う。

余談だけれど、かの有名な植村直己さんとも同行したことがあるらしい。

父は目の前にはだかる急な岸壁や吹雪ともっぱら命懸けで戦っていたのだった。

 

母は物騒なことは大嫌いで、おしゃれと友人とのお喋りに夢中な平和な女子学生だった。

母の当時のエピソードで、面白い話があった。

育ちは東京の下町の母だけれど、生まれは北陸で9歳くらいまでは雪国で過ごした。

家の2階まで雪が積もり、2階の窓から竹で作られたスキーを履いて学校に向かったという嘘のような本当の話。

そんな母なので、雪もスキーも大好き。

同年代の若者がゲバ棒を持ち、火炎瓶を投げて戦っている、まさにその頃に同じ学校の友人に団体スキー旅行に誘われた。

もちろん母は二つ返事で誘いに乗り、仲良しの女友達と参加。

バスの中は和気藹々としお菓子などをつまんで楽しく過ごし、スキー場のある東北の街に着いた。

日が沈むまでスキーを思いっきり満喫し、宿での夕食後みんなで集まることになった。

母と友人はトランプか何かするのだろうと、上機嫌で主催者の部屋に向かった。

中に入るとすでに人が集まっていて難しい顔をしている。

これはまずいと思った時にはすでに時遅し。

まさにそこは討論会の場だった。スキーは隠れ蓑で、真の目的はこれだった。

全く思想など持っていない母と友人は、外に出るに出られず小さくなって時が過ぎるのを待っていた。しかしついに議長役の男子学生の目に止まってしまい、意見を求められてしまった。

なんの興味もない母に何が答えられるのか。

スキーがしたくて来ただけと正直に言うわけにもいかず、しどろもどろでどうにか答えて朝まで乗り切ったらしい。

次の日、友人とそそくさと逃げ出してきたと笑っていた。

 

革命を達成できなかった学生たちは闘志を失い、失望の中それぞれの場所で人生を歩いてきた。仕事を持ち、家族を持ち、たくさんの責任としがらみの中で日本の国の発展に尽くして働いてきた。

鎌倉のあの場所にいたおじさまたちの何人かはそういう方々だったろう。

映画が終わり、私は最後まで席に残った。

おじさま方が何か話しながら出ていくだろうと思ったから。

「〇〇君はあんなだったよなー。」「あれはひどかったな。」などと嬉しそうに笑っていた。

本気で戦っていた人たちもいたのだろうけれど、ムーブメントというか時代に乗っかっていた若者が多かったのかもしれないとも思った。

 

肝心の三島は東大全共闘の精鋭たちに時にはマイクを奪われながらも、熱く意見する学生たち

の姿を嬉しそうに見ていたように思う。

その素の姿を映像で見られてファンとしては嬉しかった。

そして、今の私より若い年で苦悩に満ちた最期を迎えた彼が本当に惜しいと思った。

また三島を読み返してみようと思う。

母と違って存分に読書に没頭することができるのだから。

 

この続きは、また次回。

sea you soon.