On the road〜海の街で

海街に家を建てて移り住むまでのよもやまばなし。から始まった、海街暮らしと日々のあれこれ

9.11

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今朝、仕事で家を空けている夫からLINEが来た。

「今日は結婚式の記念日ですね。今年はハワイに行けなかったけど、近いうちにまた二人で行ってあの時行った場所を辿ってみるのも良いね。」

とあった。

 

19年前の9月11日夕方。

雨がひどく降る中、ドレスの入ったガーメントを濡れないように抱えてタクシーに乗り込んだ。ノースウエスト航空の夜便でホノルルに発つので、空港に急いでいた。激しい雨でなかなかタクシーが捕まらなかった。ちょうど新車を買ったばかりで、帰国してからの納車だった。

やっとこ空港に着く頃には、足元はビチャビチャだった。

でも、私は上機嫌。だって、ハワイでの挙式に向かうのだから。

友人たちが作ってくれたウエディングドレスは雨からしっかり守った。

そして、オンタイムで日本を発った。結婚式に参加する友人たちは、あとのJAL便でやってくる。

機内ではシャンパンも頂いて、寝たり起きたりしながら夢心地でホノルルに着いた。

実はハワイが初めてだった私。着陸態勢に入るとアナウンスが入り、東海岸で事件が起きたが問題なくホノルル空港に着陸するという。小さなテロ事件はイギリスやスペインでも度々当時起きていたし、気にも留めていなかった。

しかしホノルル空港が見えてくると、不思議な光景。アメリカ本土やヨーロッパにはよく旅していたけれど、こんな空港は初めてだった。

私達の旅客機の横を米軍の偵察機が、物凄い速さでどんどん飛んでいく。ハワイは基地の島だからかしら?同じく基地の島、グアムでも見なかった光景。飛行機を降りると機関銃を背負った軍人さんが私達をイミグレーションまで先導する。機関銃など見たこともなかったので、驚いて夫に聞いた。

「さすが基地の島だね、すごいね。」

「いや?僕もこんなの初めてだ。テロが関係しているのかな?」

イミグレーションを通って空港を出ると、人がいなくてとても静か。レンタカーのカウンターも空いていて、すぐに車を借りられた。滞在先のカハラに向かってフリーウェイに入ると、車もガラガラ。おかしいな、おかしいなと思いつつ車を飛ばしていくと、フリーウェイを跨ぐ陸橋の上から星条旗を降っている男性が見えた。

「今日はアメリカのなんかの記念日なのかしらね?」

はてなだらけでカハラのホテルに着くと、ホテルのカウンターが大混雑。混雑するようなホテルではないのに、二人で呆気に取られてポカンとしているとホテルのスタッフが声をかけてくれた。カウンター横のテーブルでチェックインをして、とにかくメッセージがたくさん来ていますので部屋の電話で聞いてください。と言う。

「何があったんですか?」

「お部屋のテレビで確認してください。」

部屋に入ってまずはテレビをつけると、いつかN.Yで見たワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んで煙を上げていた。映画がついたのかと確認すると、CNNチャンネルだった。

夫と目を合わせた。これは大変なことがアメリカで起きている。

すぐに友人たちが泊まる予定のホテルに問い合わせると、着いていないと言う。数十分の差で飛んでいる上に、彼らはワイキキ滞在なのでもう着いているはずだったのに。

山ほどのメッセージは家族や友人からだった。まずは母に電話すると、

「あなた今どこにいるのよ!」と声を荒げ、「無事で良かった。」と今度は安堵していた。

聞けば、私達のあとの友人が乗ったJAL便は途中で成田に引き返し、真夜中に成田には着いたが空港が開かず、飛行機と空港に長い時間缶詰になっていたよう。申し訳ない。

テレビやあちらこちらに連絡して、やっと様子が見えてきた。

アメリカは戦時下のようになった。ハワイでもショッピングモールやショップはクローズし、軍人が街のあちこちに銃を持って立っているし、空には戦闘機まで飛んでいた。

飛行機は全便ストップし空港は閉鎖。私達の便が最後に入国できた便だったらしい。帰国もできず、滞在していたホテルをチェックアウトしてしまった観光客が行き場を失って、どこのホテルカウンターも人だかり。

そんな中、私達の式は明日の予定。

ウェディングプランの会社から連絡があり、ワイキキのオフィスに向かった。

 

この続きは、また次回。

sea you soon