再会。
1991年。
まだ世界は湾岸戦争中で多国籍軍を日本も支援し、海上自衛隊の船がペルシャ湾に派遣されていたその頃。
社会問題などにはほぼ目を向けることもなく、15歳の私は都内の女子校に入学した。
団塊ジュニア世代の私達はとにかく人数が多く、私の母校も当時はマンモス校だった。
女子ばかりの毎日は楽しいことだらけ。
朝からおしゃべりに花が咲いて、昼休みともなればランチを囲んで前日のドラマや恋の話。
禁止されてるティーン向けのファッション雑誌を隠れて開いて、おしゃれの話も盛り上がった。
放課後は部活か、バーガーショップでおしゃべりの後、ウインドーショッピング。
「SONY PLAZA」(現・PLAZA)でアメリカ雑貨の入荷チェックも欠かせない。
当時はL.Aカジュアルが流行っていて、ポーチはレスポで、制カバンにはソニプラで買ったアメリカ製のクリップにシールを貼ってポケットに挿していた。
ESPRITの布バッグや、ラルフローレンのルーズソックス、カラフルなヘアゴム。
学校でできるおしゃれは限られるので、みんな同じものを持っていた。
とにかく、毎日学校は楽しかった。ほとんど休まなかった。
入学からあっという間に3年間は過ぎ去ってしまった。
クラスのほとんどの友人が付属の学校に進み、外に出た私は高校時代の友人とは疎遠になっていた。
あれから、30年。
この海街で高校の同級生と偶然再会した。
最近はマスク生活ということもあり、初めは全く気づかずに接していた。
2回目に会った時に彼女がマスクでなくフェイスシールドをしていて、あら?と思った。
その日はそんな偶然あるものかしらと、首を傾げながら帰った。
そして3回目、ついに「〇〇ちゃん?」と聞いたら、「そうだよ〜。」と返ってきた。
彼女もうっすら気づいていたけれど、確信できず聞けなかったと。
お互い結婚して苗字が変わっていたこともあり、30年も経っていれば仕方ないことかも。
二人で大笑い。
「こんなことってあるんだね〜!」
高校時代の懐かしい話や卒業してからの話、近況報告など、久しぶりに高校生に戻ってまた話に花が咲いた。
彼女も数年前に家族と都内から海街に引っ越してきたそう。
小さなこの海街で出会うなんて、よほど縁があったのだなぁと嬉しくなった。
同じ時代を過ごしてきた、まだティーンの頃の私を知っている同級生。
そういえば、彼女とは高校3年間ずっと同じクラスだった。
また丘の上の彼女の家に行くのがとても楽しみ。
もうすぐ外構工事も終わるので、私の家にも遊びに来てくれるそう。
きっとここでおばあちゃんになるのも一緒なんだなぁと思うと、なんだか心強くもある。
怖いもの知らずだった無敵の女子高校生が、30年後に一緒にのんびり海街で過ごしている。
とっても素敵な偶然。
この続きは、また次回。
sea you soon.