On the road〜海の街で

海街に家を建てて移り住むまでのよもやまばなし。から始まった、海街暮らしと日々のあれこれ

続・9.11

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途方に暮れて路上にたたずむ観光客、扉をしっかり閉めたショップ、沢山の軍人さんを横目にカラカウア通りを進む。

ウェディングプランの会社に着くと、困った顔で担当の方が現れた。

参列するはずの友人たちがハワイにたどり着かなかったことを伝えると、

「挙式はどうされますか?」。

事情が事情なので、キャンセルも可能だという。

カハラのホテルでのガーデンウェディング。牧師様に来てもらい式を挙げた後は、そのままパーティー。ケーキもシャンパンも用意し、ハワイアンのミュージシャンもお願いしている。

こんな時期ではあるけれど、どうにかハワイにたどり着けたので、二人きりの挙式をあげる事にした。

シャンパンはキャンセルできたが、ケーキは用意されていると言うのでそのままお願いした。

詳細を打ち合わせし、オフィスを後にした。

 

次の日の朝、参列するはずだった友人の知人のヘアメイクさんが、メイクとヘアセットをしてくれた。リゾート風にナチュラルに仕上げてくれて嬉しかった。海外ウエディングでは、これが一番心配だったので、とても気に入ったとお礼を言った。

友人たちのお手製のドレスを纏い、ウエディングのスタッフに先導され会場に向かった。途中、ホテルの宿泊者からたくさん祝福いただいた。観光スポットもショッピングモールも閉鎖で、みなさん暇を持て余していた様子。

ガーデンに着くと大きな体のハワイアンがウクレレを弾いてくれていて、式のためのデコレーションがされていてそれはとても素敵だった。他のウェディングが全てキャンセルになったため、沢山のスタッフが準備を進めてくれていた。参列者なしの結婚式をを気にかけてくれたに違いない。

宿泊客も見てくれている。

牧師様がいらして、式が始まった。私達二人を温かく見つめて、

「今、山から風が吹いている。ハワイでこの風は幸せを運んでくるもの。あんなことがあったけれども、二人はしっかり祝福されていますからね。」と優しくお話しくださった。

二人で結婚宣誓書にサインをしたら一通りセレモニーは終わり。

参列者もいないので軽く二人でシャンパンで乾杯して、ケーキにナイフを入れた。

写真撮影を早めてもらい、ホテルのあちらこちらで撮影して終了。

少し寂しくなってしまったけれど、スタッフもみんな良い方達で心に残る良い式だった。

 

それからはバカンスだったのだけれど、ビーチ以外は行くところが無い。

ワイキキの街に出れば、相変わらずツアーデスクやホテルのカウンターは混み合っているし、レストランやショップも開いていない。物騒な感じがして、リゾートとは程遠い。

二人でビーチにいるか、ドライブに出かけるかして過ごしていた。

ある日、ホテルのスタッフがワイケレのアウトレットは開いているらしいと教えてくれた。

ドライブがてら車で向かうと道を間違えてしまったらしく、よりにもよってこの時期にパールハーバーに入ってしまった。事情を話しゲートの軍人さんに頭を下げ、Uターンさせてもらった。「こんな非常時にショッピングか」と呆れ顔をしていた。ごめんなさい。

アウトレット内のショップを周り、いくつか買い物をしてホテルに戻った。

ショッピングに出かけたのはこれだけ。

 

そんなふうに静かに過ごしたハワイのバカンスも、終わりが近づいていた。

空港閉鎖は続いていたので、帰りの便が心配だった。

ホノルル空港はホテルを取れなかった観光客が大勢寝泊りしていたし、いつ動くかわからない飛行機の空席を今か今かと待っていた。航空会社に問い合わせると、日本に向かう飛行機は私達の便から再開すると言う。もともと予約していた便で帰国できる。

私達が乗った便が最後にホノルル空港に滑り込み空港閉鎖し、私達が予約した便から運行再開とは。

そうして、ハワイを後にした。

 

9.11。

私たちの身近には犠牲になった方はいなかった。夫の友人がワールドトレードセンターに勤務していたが、無事だった。とても恐ろしい体験をし、ご家族の心配もいかほどだったか。

2週間ほどハワイにいたので、毎日アメリカのテレビで惨状を見ていた。

世界で一番の都市の中心で瓦礫の山ができ、そのそばで行方不明の家族の姿を探して悲しみ嘆いてる人々の姿。その人々を少しでも助けようと必死に救助活動をする消防士さんや軍人さんの姿。また大規模なテロがどこかで起きるのではないかと、警戒を続け怯える人々の姿。

ハワイでも背の高い建物周辺には近づけず、とても強固な警備をしていた。

大きな悲しみを目の当たりにし、これで世界は変わってしまうのではないかという不安が募った。と同時に、ひとに心配をかけずに生きていくことの大切さも身にしみた。

私達がホテルで受け取った沢山のメッセージ。

「無事なら良かった」

これが幸せの全てと、この時教わった。

 

あれから19年経ち、世界の脅威は形を変えて私達に迫っている。

まだまだ不自由な暮らしを強いられ、不安も尽きない。

けれども、家族も友人も私の大切な人々は無事に生きている。

私も誰にも心配はかけていない。

また夫とハワイに行ける日を楽しみに、前向きに乗り越えていこうと思う。

もうすぐ大好きな海街にも住むことができるのだから。

 

sea you soon