On the road〜海の街で

海街に家を建てて移り住むまでのよもやまばなし。から始まった、海街暮らしと日々のあれこれ

1969。

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母と電話で話していて、私の気ままなほぼ一人暮らしが羨ましいという話になった。

母は父と二人暮らしなのだけれど、齢70を過ぎても父は現役で働いている。

生活のリズムは子育てしている頃に比べたら自由ではあるものの勝手にはできないと。

父が帰る頃を見計らって献立を考えて食事の支度をしたり、身の回りの世話は変わらずにしなくてはならないんだからと嘆く。

手芸や書道など集中してやっていることを家族の用事や家事で中断しなくて良いのが一番嬉しいと話したら、母は自分だったら読みたい本を一気に読みたいと言った。

いつか母にも山ほど本が読める時間を持てる時が来るのだろう。

 

実家の家族は本をよく読む方だと思う。

特に私は活字中毒で、とにかくなんでも良いから字を追っていたい。

小さい頃平日の朝ご飯中、時間もないのに牛乳パックに印刷された字を追っかけていたと母に今でも言われる。

あまりジャンルは問わないのだけれど、好きなのは大正から昭和の前半にかけての文学。

中でも、太宰と三島は二大巨塔。

少し前の話だけれど、鎌倉の川喜多映画記念館で三島の映画を観た。

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」は去年の春に上映されていた。

コロナ禍で緊急事態宣言中なこともあって見逃していたので、前売り券を買って今回の上映を楽しみにしていた。

もうAmazonプライムなどのオンデマンドでも観る事はできる。

でも、できたらその時代の方々と上映時間を共有したかった。

鎌倉なら当時学生だったシニアの方々も足を運んでくることだろう。

予想通り、元闘士らしきおじさまが多くいらっしゃった。

それにしても、三島が自分の考えをマイクを持って公衆の場で話すというのは、なかなか貴重な映像だと私は思う。

安田講堂でヘルメットをかぶった学生たちの報道映像は勿論見たことはあったけれど、学生たちが実際に話している映像を見るのも初めてのこと。

当時の学生運動、特に武闘派の東大全共闘には以前から興味があって書物は読んではいた。

ただ、生まれる前の話で身近な出来事ではなかったし、学校で詳しく学習した覚えもあまりない。

今回貴重なこの映画を見られて、本当に良かった。

 

両親はまさにその年代なのだけれど、当時の父は山岳部の活動でほぼ山で過ごしていて、下界の騒ぎや運動に少しも興味は持っていなかった。

日本の山を制覇している真っ只中の時期で山に夢中だったと思う。

余談だけれど、かの有名な植村直己さんとも同行したことがあるらしい。

父は目の前にはだかる急な岸壁や吹雪ともっぱら命懸けで戦っていたのだった。

 

母は物騒なことは大嫌いで、おしゃれと友人とのお喋りに夢中な平和な女子学生だった。

母の当時のエピソードで、面白い話があった。

育ちは東京の下町の母だけれど、生まれは北陸で9歳くらいまでは雪国で過ごした。

家の2階まで雪が積もり、2階の窓から竹で作られたスキーを履いて学校に向かったという嘘のような本当の話。

そんな母なので、雪もスキーも大好き。

同年代の若者がゲバ棒を持ち、火炎瓶を投げて戦っている、まさにその頃に同じ学校の友人に団体スキー旅行に誘われた。

もちろん母は二つ返事で誘いに乗り、仲良しの女友達と参加。

バスの中は和気藹々としお菓子などをつまんで楽しく過ごし、スキー場のある東北の街に着いた。

日が沈むまでスキーを思いっきり満喫し、宿での夕食後みんなで集まることになった。

母と友人はトランプか何かするのだろうと、上機嫌で主催者の部屋に向かった。

中に入るとすでに人が集まっていて難しい顔をしている。

これはまずいと思った時にはすでに時遅し。

まさにそこは討論会の場だった。スキーは隠れ蓑で、真の目的はこれだった。

全く思想など持っていない母と友人は、外に出るに出られず小さくなって時が過ぎるのを待っていた。しかしついに議長役の男子学生の目に止まってしまい、意見を求められてしまった。

なんの興味もない母に何が答えられるのか。

スキーがしたくて来ただけと正直に言うわけにもいかず、しどろもどろでどうにか答えて朝まで乗り切ったらしい。

次の日、友人とそそくさと逃げ出してきたと笑っていた。

 

革命を達成できなかった学生たちは闘志を失い、失望の中それぞれの場所で人生を歩いてきた。仕事を持ち、家族を持ち、たくさんの責任としがらみの中で日本の国の発展に尽くして働いてきた。

鎌倉のあの場所にいたおじさまたちの何人かはそういう方々だったろう。

映画が終わり、私は最後まで席に残った。

おじさま方が何か話しながら出ていくだろうと思ったから。

「〇〇君はあんなだったよなー。」「あれはひどかったな。」などと嬉しそうに笑っていた。

本気で戦っていた人たちもいたのだろうけれど、ムーブメントというか時代に乗っかっていた若者が多かったのかもしれないとも思った。

 

肝心の三島は東大全共闘の精鋭たちに時にはマイクを奪われながらも、熱く意見する学生たち

の姿を嬉しそうに見ていたように思う。

その素の姿を映像で見られてファンとしては嬉しかった。

そして、今の私より若い年で苦悩に満ちた最期を迎えた彼が本当に惜しいと思った。

また三島を読み返してみようと思う。

母と違って存分に読書に没頭することができるのだから。

 

この続きは、また次回。

sea you soon.